パパ美容師のヨシです。
自分はプライドが高い。どのようにそんな自分と向き合うべきだろうか…。
とても難しい問題です。僕自身とても悩みましたし、とにかく傷つくのがコワく、直そうと思ってもどうするべきかわからない。
自分を守って傷つきたくない反面、自信のある部分は見てもらいたい、という矛盾した考えになります。
僕はあるエピソードで自分の客観視が可能になり、人との関わりを冷静に考えられるようになりました。
ご説明します。
社内会議でのエピソード
ある定例会議で、社長と採用担当が採用について話し合いをしていたんですね。
いつも平行線で終わる会議にムズムズと不満を募らせていた僕。
なんでこうしないんだ、ああしないんだ…俺の方が絶対いい意見を言えるはず!
そう思った僕はですね、
もっと具体的に詰めた方がいいのではないでしょうか?
・誰に向け、どんな人物像が欲しいのか
・どのように動いていくのか計画的にしていくべきなんではないでしょうかっ?
etc
なんて言ったわけです。他にもアレコレ言いましたけど、なんせイキって言ったわけで。他の先輩は全くそんな事言ってなかったので、『社長は絶対に僕の意見に賛同してくれる!』とか思って。
けど結果はどうだったかって言うと、シーーン・・・( ^ω^)なわけ。
何か恥ずかしいね…反応を貰えなかった僕は、通り越して怒りさえもありました。(ヤベーヤツじゃんw)
すると、こんな意見に耳すら貸さない〇〇さんが悪い!とか、社長もどうなんだ?何の反応もナシなんて…!
と。
このエピソードは一例で、何気ない日常でもこのようなシーンは多々ありました。
プライドの高い人は「自分を認めてほしい」のと、「多少の責め心」が奥にある
思ったんですけどね、プライドの高い人の心の根底にあるのは
って気持ち。なんでこんな素晴らしい考えの持ち主なのに(自分w)みんなわかってねぇんだよっ!って気持ち。
それでいて求める評価をされないと「なんでだっ!」てなる。賞賛されるべきなんだよと。
べき。べき。こうするべきだよ!って。べきって何だ?ゲシュタルト崩壊すんぞって(マイブームw)
自信があるからプライドが高いんじゃないの?
プライドって、それなりに自分に自信があって初めて持ってるものだと思ってた僕。でも違うんです。むしろ逆で、
だってプライドが高いかどうかの基準なんて、そもそも自分の中になんてあるワケなく、他者にプライド高そうに見えたら、もうそうなんだって。
注意点は、プライドにも2通りあるって部分。広い意味で使われるけど、
きっちりプライドがあって評価されてる人です。反対に、
とにかく他者にとってどう映るか?をいつも考えている人は、もっと評価されるべき(出たw)
なぜこんなに評価されないんだ…もっと認められるべき(出た出たw)
となる。
「何を言うか」→× 「誰が言うか」→◎
会議に話を戻すと、どんな事をいって評価をもらおうか?なんて気持ちが1mmでも心にあると、不思議と承認欲求が伝わってしまう点。
ぁぁなんて酷であり、現実的なんだろう。
つまり、いい事言ってぎゃふんと言わせてやろう!なんて思ってた小生は、ハッキリ言って「お呼びでない」ってこと。
ここでは社長と採用担当のキャッチボール中に、僕の承認欲求だけで割り込んだカタチになったんですよね。
こんな小さなことだけど、積み重なると他者からは「うわプライド(だけ)高いヤツっ!」となる可能性大。
スポーツしてる人って、仲間のボールを奪わない!
別にスポーツマンシップ全肯定派ではないけど、確かにあるんです。仲間のボールを奪わずに、フォローの言葉を投げたり、
ハナから否定して自分を評価してもらおうなんて、まだまだ段階的には早い。
具体的な意見を求められた時に初めて意見を言えばいい。
けど否定せずに、包み込むような前向きな意見。(時には否定も必要だろうが、自分のための否定でなない)
世渡り上手を尊敬する!いい意味でねw
自信がなさそうにしてる人こそ!プライド高い人!かも
普段は自信が無さそうにしてる人、実は評価されたい塊だったりする。
自分でも「自信がない」、「弱気な発言」を連発してる人の方が、根底では認められたい願望が強かったりするんだな。
(…まさにオレだったw)
ともあれ結果的に
あぁ何とも難しいけど、やっぱり他者を優先して、自分にできることをやるしかない。
なんともボヤっとした回答で申し訳ありませんw
まとめ
色々と書きましたけど、要は
発言の一つ、行動の一つ、いい歳なったらウラ付けがあって動けるようにならないと、誰も相手にしてくれないねって話です。
まとめるとやっぱり短いw!
時間潰しになれば幸いです。
最後までありがとうございます。
おしまいでやんす!
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