「楽しいことがない」と感じるあなたは「楽しいことだけ」を追い求めていませんか?

生きやすさの読み物
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美容師パパブロガーのヨシです。

皆さんは、

  • 「あぁ〜楽しいことないなぁ〜」
  • 「ずっと楽しいことだけしときたいゼェ〜」

って気持ちになることありませんか?

その「楽しいこと」って一体何なんだ?って思うんですけど、それってきっと、

楽しいだけで終わること

じゃないのかな?って最近思うんです。

答えを先に言うと、

楽しいだけで終わること

なんてありません。絶対に。

しかし、それでも日常に忙殺されると少しでもラクに、楽しく

を追い求めてしまいます。

ではどのように「楽しいことだけしたい」感情と向き合えばいいのか?

簡単にご説明します。

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「ただ楽しいだけ」で終わることは世の中に何もない

何もありません。間違いありません。

なぜなら、どんなに楽しい事柄でも、

イヤなこと、面倒くさいことはつきまとうからです。

これは寂しい事のように聞こえますが、そういう意味ではないんですね。

ここではただただ、頭で理解だけしておくと良いのです。

楽しむために行った先で嫌なことはないか?

例えば、友人と、恋人と、家族と楽しむために行ったテーマパークで、

ただ楽しいだけで終わることはありますか?

夏なら暑い中、冬なら寒い中歩き回り、体力を消耗します。

消耗した体力は、ダイレクトにメンタル面を低下させます。

帰り道、楽しかっただけでなく、疲労感や、次の日が仕事なら倍疲れが襲ってくるかもしれません。

朝の時点では「ただただ楽しいだけ」であろうこの後の展開に、胸が膨らんでいたはず…

さらに、「こんな気持ちで1日を終わらせるのはイヤだ!」となり、

もっと少しでも楽しく、ラクに1日を終わらせたくて

疲れた身体で夕食に行く…

もうこうなると

快だけを求め突っ走っている状態。

大体は後悔します(^_^;)

最悪の場合、後悔を打ち消すためにさらなる快を求めて暴走…

さすがにそこまでいったらマズいですよね。

しかし冗談ではなく、そこまで行ってしまう時があるのも人間。

それぐらい「ただ楽しいこと」を追い求めている状態の人間というのは、モロいわけです。

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アルコール、買い物など中毒や依存の話

何かに依存してしまう時というのは、

さらに「楽しいことがない、楽しいことだけで終わらせたい」という

気持ちを満たそうとする為の行動ではないでしょうか?

「ただ楽しいこだけ」を追い求めている時というのは、

「自分だけが楽しい」という状態がほとんど。

つまり、自分の快楽の為だけに行動してしまっている。

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全てに「楽しみ」を求めていた過去

僕の過去の「楽しみエピソード」というと、まずはお酒。

休みの日は朝から飲んでたし、平日休みなので子どもを送り出してから飲んでた。

アルコールが残ったまま幼稚園のお迎えに行ったこともあった。

今思うと

とてつもなく日々つまらなくて、自分の唯一の「楽しいだけで終わること」はずっと酔っ払っていることだった。

冷静に考えたら、やはり「自分だけが楽しい状態」

子どもながらに僕が酔っているのは気づいていたはず。

キッチンドリンカーで、自分の食べたい夕食を酒を飲みながらのんびり作る

それで休みの日の家事をいっぱしにしたつもりでいた。

全てに「楽しいだけ」を求めていた僕は、お酒に逃げていたこと間違いなし。

周りのことなんか考えてもない。

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奥さんに言われた「楽しい事なんてこの世にない」

冒頭でもありましたが、暗い意味ではありません。

何かにつけて『楽しみがない』とか言う人がいるけど、『楽しみ』という見返りを求めるから何かに頼りたくなる。

見返りありきでとことん自分に甘える。

えぇ、「楽しみ」がないと自分はやってけない!なんて、たかが思い込みなのかもしれません。

誤解のないように言いますが、楽しい事があるのがいけないという意味ではありません。

当然です。

ただただ、「楽しいだけで終わる見返り」の気持ちが自分の中にあって、

ブクブク大きく膨らんで

達成することなく歯止めがきかなくて、もっともっと!これが自分の「楽しみ」なんだっ!て、

ストレスになっている状態がマズいんですよね。

それ自体は楽しみでも何でもなく

現実逃避の依存状態。

目を覚ました方が良さそうです。

他者に「快」を分けると「楽しい」だけで終われる

つまり自分の「快」だけを追い求めることで、決して満足することが無い

依存状態

を作るのでしょう。

では、自分だけに向けられた「快」を少しでも人の為の「快」に変換してみてはどうでしょうか。

僕の話をします。

休みの日は朝から飲んで、家庭の事は飲みながらしていた過去。

当然ですが、家族の視線は冷ややかでした。

そんな時、体調を崩したんですね。

お酒を飲む気にもならず、3日ほど寝込んでいた僕を

妻は献身的に支えてくれました。

(ホントにヤベーヤツですよね…)

そんなキッカケでって言ったら怒られますが、そんなキッカケで家族の暖かさが身にしみました。

じゃぁ、いつも自分だけの「楽しみ」を追求していたけど

家族にもしっかりと恩を返さなくては、と思いました。

特別なことではなく、声かけや気にかけをした

それまではダラダラ飲んでて、結果的に家庭サービスもやった振りだったかもしれません。

けど意識を自分以外の身近な人に向けるだけで、あら不思議

「もっと楽しくしたい」、「楽しい事だけをしときたい」

という感情が、

「もっと皆で楽しくしたい」、「皆が楽しいことだけをしたい」

そんな考えになってきたんですね。

きっと色々なタイミングが重なったという事もありますが、

明らかにそれまでの自分とは違う次元で、身近な人を見るようになっていました。

「楽しいこと」なんて自分でひたすら追い求めることではなく、

もっと人を絡めてしていくことなのかもしれません。

気づきとなったエピソードでした。

もう「ただ楽しいだけ」で終わることを追い求めない

そんなもの、最初から自分の中で勝手に出来上がっていた

幻想だったのでしょう。

どれだけワクワクする事でも「楽しいだけ」がずっとずっと続くような事はありません。

僕たち大人は良いも悪いも、苦も楽もワンセットで考えられるようにならなければなりませんね。

そこを乗りこなせてこそ、バランスの良い安定した人間なのではないでしょうか。

そんな事を思う今日この頃です。

まとめ

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