パパ美容師ブロガーのヨンです。
人混みが疲れるのを少し克服できました!
良かったね~私はまだあまり変わってないかも…
二人ともお疲れ様です。合うやり方、考え方が見つかるまで気長にトライしていただきたいです。
さて、今回はいわゆる僕らとは正反対にいる、『人混みが全く疲れない』、むしろ『人混みでも元気をもらえる人』の話を少しさせていただきます。
“人混み嫌い”の感覚が変わった、”人混みが平気”なノンさんエピソード
ある人っていうのはタイトルの通りノンさん。
※ノンさん = 奥さん(知らんがなって方、宜しくです~w)
ノンさんは出会った頃からブレない軸を持っており、僕の尊敬する人の一人。 『人混みが全く疲れない』、むしろ『人混みでも元気をもらえる人』 はノンさんです。
(対極にある人の考えって、結構響いたりします)
なので今回は少しノンさんベースで話をさせてください。。
ノンさんがふと言ったのは『人はみんな愛おしい』
もちろん別に神かってわけではありませんが、会話の中で『人はみんな愛おしい』と言ってました。
当たり前ですが、すれ違う人混みの他人まで心底愛おしいってわけではなく、
が言葉なってにふと出たように感じます。(ヨメだからって讃えてるつもりはありません。)
『道端の石ころでも愛おしく感じる』時があるらしい‥
これ聞いた時はさすがにおかしいと思った。
いちいち言うと、見てても石ころを愛おしく感じてる様子はありません。つまり
なんだろうと。言い換えるとそれほど”日々のワクワク”を探してんだろうな、と。
人にいちいち疲れない為には「好奇心」が◎
そんなノンさんは好奇心の塊です。女性が好きそうな物は大体好きです。
だから街を歩いてても、好きなものや興味ある人に目が行くので、人混みでも何ともないらしい。
根本的に僕らと観点が違うのかな…?
いきなり好奇心なんて持てそうにないよね…
人混みでも疲れない人は「人なんて見てない」件!
これマジなんですよね。人なんか見てない。
僕ら人混み嫌いちゃん達はむしろ人にしか目が行ってないことが多いんです。
そりゃ人に酔うわけですから間違いない。
目が実際に人を捉えてなくても、人の方にしか意識が行ってない。
だから好奇心どころか、
ときめなかいどころか、意識にすらとめることなく過ごしてしまっている。
皆さんは心当たりがないでしょうか?
ってこと、ないですか?休暇だから当然っちゃ当然なんですが、要はそれぐらい疲労や他人に意識を取られていると感じる瞬間が僕はありました。
そう思うと、確かに勿体ないかな?とも思う。
人混み嫌いの克服。他人と自分は「隔離された別々の存在」だ
そんな人混み平気系な人たちと関わっていると、あることに気づく。
人の事を見ず、人に過剰に反応することも確かに少ないのだが、
かといって人に無関心なのではなく、むしろ(多分だけど)僕らより人に関心がある。
人に関心があると言っても、人の表情・感情にはそれほど頓着はなく、例えばだけど、どんな人なのか?とか、オシャレな人だな〜とか、楽しそう!とか‥
とにかく人の感情を詮索したり、勝手に人の表面だけ見てビビったり、なんてことはほぼない。
なんなら人混みの中でも好奇心のアンテナを張っていて、
あの服○○さんに似合いそう!とか、これ○○さんにあげたい!とか、面白いものないかな〜‥
なんて人の為を思ってたりする。
他人の事を想うことはあれど、他人に支配はされない
要は、自分のコミュニティにいる人達を大切にしたり、思ったり、時にはケンカしたりすることはあっても
人混みですれ違うだけの人の事まで意識にとめる必要はない。
人との人との間は、身体の距離に関係なくハッキリとした膜が張られていて
そこをお互いに守ったり近づいたりしていくものなんだなと。
他者との関係性であったり、心の距離感のとり方がうまくいかないと、人混みでやたらと疲れたりしてしまう事になるのではないか。
またノンさんは誰に対してもフラットに接します。
それはきっと、誰に対しても基本的には同じ心の距離で接しているんだと思います。
心の距離の取り方が、人混み嫌いを克服するヒントになるかしれないわね
まとめ
別に人混み嫌いなんてちっとも悪くない。
コンプレックスに思うこともないけど、仲いい人との関わりに支障が出ると、ちょっと面倒くさいですよね。
人混み超得意系の友達や家族がいたら、思い切って連れ出してもらいましょう!
今は気づかせてくれたノンさんに感謝です。(のろけみたいでスマソ)
最後までありがとうございます。
おしまいでーす
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